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帝塚山は、大阪市の阿倍野区南部から住吉区北部にかけての地域のことで、明治時代に高級邸宅街として開発されました。地域としては、帝塚山、北畠、万代などを含む。路面電車の上町線が走る閑静な街並みです。 現在も兵庫県の芦屋に代表される阪神間の高級住宅街と共に関西屈指のお屋敷町であり、特に表通りから一歩中に入ると風格のある大邸宅が並んでいます。 |
| | | 大阪府大阪市住吉区住吉 2丁目 9-89 TEL : 06-6672-0753 6:00〜17:00(参拝可能時間) |
| 地元では「すみよしさん」あるいは「すみよっさん」と呼ばれ、毎年初詣には多くの参拝者が訪れます。 海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称されています。住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)とも呼ばれています。 |
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| | | | 池の周囲は約700メートル。池の西端に熊野街道が接して通っていることから、上町台地の浸食をせき止めてつくらせた池とされており、明治の中頃までは灌漑池として利用されていました。「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられています。 現在では池を取り囲むように桜の木が植えられ、池の周りを桜並木が取り囲んでいます。 |
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| | | | 現在は一つだけですが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていました。大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存しています。 近隣の帝塚山という地名のルーツになっており、財団法人住吉村常盤会が管理しています。 |
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| | | 大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-20 TEL:06-6661-6243 |
| 阿部野神社は、南朝方について各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房が祀られています。 延元3年(1338年)に顕家が足利方に敗れて亡くなった地に、明治8年(1875年)、地元の有志が顕家を祀る祠を建立したのに始まります。明治15年(1882年)1月に改めて阿部野神社として創立されました。明治23年(1890年)に社殿が竣工し、鎮座祭が斎行され、別格官幣社に列せられました。 |
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| | | | 別名「奥の天神」と呼ばれており、式内社で、住吉大社の摂社となっていましたが、明治時代に独立の神社となりました。 少彦名命を祀る。西成区に、当社より少彦名命の分霊を勧請した生根神社があります。社伝によれば、住吉大社の鎮座以前よりこの地に鎮座していたそうです。古来より住吉郷の産土神とされてきましたが、江戸時代に神宮寺とともに住吉大社の管理下に入り、その摂社となり、明治5年に住吉大社から別れ独立の神社になりました。淀殿が当社を崇敬し、現存する本殿・拝殿を造営しました。 |
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